先日、久々に前職のオフィスに立ち寄った時の話。
偶然、私が在籍時に講師トレーニング(※講師を目指す方へのトレーニング)を担当させてもらった1人の方とすれ違い、その通り過ぎ際に、
「井尻さんに色々教えてもらったおかげで、いま講師を頑張ってやれています!」
と声をかけてもらった。
その時、咄嗟に私が返した言葉は、
「いやいや、●●さんが頑張ったからやと思うよ」
今回は、「因果関係の譲り合い」について、書いてみたい。
そもそも因果関係とは
この話をする上で、そもそも「因果関係」という言葉の定義を確認しておくと、
二つ以上のものの間に原因と結果の関係があること。(大辞泉より)
とある。
「Aが原因となり」「Bという結果になった」という場合に、「AとBに因果関係がある」という。
たとえば、
- あの人が来るイベントは、いつも雨だ
- A型の人は、たいてい几帳面だ
なんて風に、日常よく使っている概念ではあるが、実はその関係を明確に示すことは難しい。
因果関係の難しさ
たとえば、「スポーツ選手の子供だから、スポーツが万能である」という関係は、因果関係だろうか?
- 「そうじゃない場合も知っている」
- 「そうだとしても、別の理由があるからだ(親の指導方針など)」
- 「たまたまそういう人がいるだけ」
などなど、因果関係の難しさは、
- そう思うだけで、実は全く関係がない
- たくさんある原因のうちの1つに過ぎない
- ただの偶然
など、考えるべき点が多い。
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因果関係は、捉え方次第
要するに、因果関係が「あった」とか「なかった」というのは、明確に示すことは非常に難しいのである。
そのため、「ある出来事(結果)の原因が何であったか」は、「本人がどう捉えたか」に委ねられることが多い。
たとえば冒頭の例において、
「自分が講師として成果を出しているのは、自分の努力の賜物だ」
と言ったとして、誰もその正否を示せないが故に、「間違ってる!」とは言い切れない。
そのためよく起こりがちのは、
「自分のおかげ」「他人のせい」
という、因果関係の判断である。
誰しも、自分の手柄を求め、自分の責任を逃れたい、という気持ちは少なからずあるだろう。
また、そう判断したとして、否定の証明をされるものではなく、その真偽を問われることもない。
因果関係は、お返しされるもの
ただここで押さえておくと良いのは、因果関係というものは、
- 押し付けたら押しつけ返され
- 奪ったら奪い返されるが、
- 譲ったら譲り返されるもの
ということだ。
具体的には、
自分の反応 | 相手の反応 |
「●●さん(他者)のせいだ!」 | 「いや、あなたのせいでしょ」 |
「自分が頑張った成果だ」 | 「いや、周りのおかげでしょ」 |
「●●さんのおかげです」 | 「いや、あなたが頑張ったからですよ」 |
という、逆方向の反応が起きやすい。
因果関係を、譲り合おう
冒頭の例では、「井尻さんのおかげです」と、私は因果関係を譲られた訳ですが、とっさに「いや、・・・さんの頑張りの成果ですよ」とそれを譲り返していた。
こと人間関係においては、そういう側面があると思う。
「自分が頑張ったから上手くいった」
「あいつが育ったのは私のおかげ」
それはそうなのかもしれないけど、そういう判断をしている人からは、因果関係は奪われるばかりである。むしろ譲った時の方が、自分に返ってくるし、そもそも、自分のおかげ、っていうのは、なんか痛い。
私自身、身の回りの成果を「他者のおかげ」と譲れているだろうか。
- SNSで自身の功績を顕示する
- 功を成した人に対して「あの人は昔、私の部下で・・・」と語り出す
なんていうくだりを見るたび、反面教師的に、
「あぁ、自分は自分から因果関係を譲っていけるようになりたいなぁ」
と思ったりするわけである。