誰も反対はしないけど、何の価値もない話、
というものが、世の中にはたくさんある。
曖昧な会話
たとえば、後輩の面倒を見ることになったAさん。
上司に何やら相談をしています。
「ある程度は新人の面倒をみる必要があると思っております」
「ただ、ある程度教えたら、ある程度任せ、自分でやらせてみたいと思います」
「任せてみて状況を見ながら、私がフォローを入れるようにします」
「よろしいでしょうか?」
また、営業で優秀な成績を残しているBさん。
何やら同僚にその秘訣を伝えています。
「俺、営業の極意を掴んだよ。
それは、良いお客さんを見つけて、そこに行くことだね。
ま、騙されたと思って明日からやってみな!」
実際、こういう種類の会話をする人は凄く多い。
曖昧・抽象的な内容で話されていて、
曖昧であるが故に、反対・反論のしようがないが、
具体的なイメージが全く持てず、何も実行に移されない。
なぜ曖昧に話してしまうのか?
では、なぜ人はこういった曖昧な話をしてしまうのだろうか?
①思い切って意見を言うのが怖い
1つに、意見に対する否定を恐れている。
Aさん「たとえば2ヶ月くらいは面倒を見て・・・」
上司「え?2ヶ月もかかんの?」
と言われるのも何だか嫌だし、
Aさん「3ヶ月後には仕事を任せて・・・」
上司「は?そんな期間で任せられる訳ないでしょ!」
って言われるのも、何か嫌だ。
よって、結局出てくる言葉は、
Aさん「ある程度面倒を見て、ある程度で任せる」
となってしまう。
②曖昧で良いと思っている
先ほどのパターンは、敢えて曖昧にしていたパターンだが、
「本当に天然で」曖昧なタイプの人もいる。
上司「ある程度ってどのくらいの期間で考えてる?」
Aさん「うーん、そりゃぁもう、ある程度ですよ」
という様な。
こんな状況で更に質問をしても、
具体的な回答が出てくることはまずないので、
こういう場合は一緒に考えてあげる必要がある。
とことんまで具体化しよう
お茶を濁したい時や、日常の他愛もない会話などでは、
曖昧に話す事はもちろんある。全然OKだ。
ただ、仕事は価値の生産である。
「これでもか」とばかりに曖昧な部分は潰していかねばならない。
「最初の2ヶ月は私が何があっても新人の面倒をみます」
「2ヶ月後、1人でサービス説明ができる様になれば、
取引額の少ないお客様から1人で担当させてみようと思っています」
「ただ、1人で行っている仕事は毎週定期的に私が進捗を確認し、
フォローを入れるようにします」
「よろしいでしょうか?」
といった具体的な話になって初めて、
有意義な相談になる、というものだ。
もし自分がスタンスを取ることに恐れていたり、
知らず知らずの「曖昧癖」を持っているとしたら、
いつもより話の内容を具体化する事を意識的に心がけてみて欲しい。
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